阪神淡路大震災 被災体験者の声

震災の体験が防災への備えの大切さを教えてくれました

荻野 惠三さん

荻野 君子さん

荻野 惠三さん、荻野 君子さん
(人と防災未来センター・語り部)
地震が起こった時に生き延びるためには事前の準備が重要

私の体験

私たちの声が外には伝わらない

写真

長年、神戸に住んでいますが、震災を体験するまでは神戸に大地震が起こるなど想像もしていませんでした。ですから震災が起こる前の3連休も、1階の和室で家族とコタツを囲んで夜遅くまで楽しく過ごし、そのままコタツの横に布団を敷いて夫婦で寝たのです。結果として助かったのは、そのコタツを出しっぱなしにしていたからでした。突然の振動に目が覚めると、間髪をおかずに2階が崩れ落ちてきて、布団に横たわったままの状態で、夫婦共に身動きが取れなくなってしまったのですが、コタツの掛け布団と寝ている布団がクッションになって瓦礫をかろうじて支えてくれたおかげで、かろうじて圧死を免れたのです。

何事が起こったか分からないまま、当たりは真っ暗闇で身体もほとんど動かせない。おまけにガスの臭いも漂ってきて、いつガスが爆発するか分からない恐怖で身体が震えました。しかし、幸いにも2人とも無事でしたから、お互いに声をかけあって励まし合いながら、誰かが救助してくれるのを待ったのです。ところが、お互いに声の大きさには自身があったにも拘わらず、いくら呼んでも誰も応えてくれません。2階にいた息子が自力ではい出して、家の前で私たちのことを心配している話をしているのが聞こえてくるのに、呼んでも返事が無い。これを講演などでは“片道切符の現象”と言っていますが、不思議なことに、何故か声が外から内側への一方通行にしか通じないのだと悟るまでかなり時間がかかりました。

数々の偶然が奇跡を呼んでくれた

写真

しかし、時間がたてばたつほど、崩れてきた瓦礫からホコリが落ちてきて、だんだんと呼吸するのも大変な状態になってきました。しかも、どんどん身体にのしかかっている瓦礫も重たくなってきます。『外にいるはずの息子に、何とかして私たちが生きていることを伝えたい。どうすればいいのか』と思った時に、かろうじて動く右足が、トゲだらけの廃材の中で1カ所だけツルツルのところを見つけました。後で分かったことですが、それはコタツの天板でした。『衝撃を与えて音を出せば、中に人がいることが伝わるかもしれない』と思い、わずかに動く足で一生懸命にそこを蹴り上げました。その衝撃は、思った通りに外に伝わり、「生きているぞ!」という息子の声がしました。そして、それを受けて近所の方たちが駆けつけてくれて、7時間後にやっと救い出されたのです。

いつも奇跡が起こるわけではない

写真

私たちが助かったのは、隣に、この周囲の家を建ててくれた大工さんが住んでいて、しかも大工道具を取り出せることができたのをはじめ、息子が無事に脱出できていたり、少しでも身体を動かすことができていたりしたことなど、本当に偶然が重なり合ったおかげでした。まさに奇跡と言っても良かったでしょう。でも、いつでもそんな奇跡が起こるわけではありません。ですから、新しい家は地震への配慮をしていますが、それでも何が起こるか分かりませんから、今は、上の階の方が助かる確率が高いということでしたので、寝るのは2階にしていますし、家具は全てL字型金具でしっかり固定しています。

その他にも、地震でガラスが割れても、破片が飛び散らないようにガラスの表明には透明なテープをはったり、窓の内側にはレースのカーテンを敷いたりしています。また、地震が起こる時に裸足ですと逃げられませんから、散らばった瓦礫の中でも歩けるように、布団そばには、空いたティッシュの箱に捨ててもいいような運動靴を入れて置いています。

私たちは、この命が助かったのは、色々な人たちのおかげだと知っていますから、『残りの人生をのほほんと過ごすのはいけない』と考え、これからも、いつか襲うかもしれない地震への備えの重要さを訴え続けていきたいと思っています。

(インタビュー 2010年3月16日)